甘樫丘東麓遺跡
明日香村の甘樫丘東側から蘇我氏の邸宅跡ではないかと考えられる建物群跡が見つかったと奈良文化財研究所が発表した。5棟の掘っ立て柱建物跡と一列の塀跡が公開された。
甘樫丘には蘇我蝦夷と入鹿の邸宅があったと日本書紀に記述されており,今回の発見は出土した土器片からその可能性があると説明されていた。 (説明会 2005年11月16日)
国営飛鳥歴史公園甘樫丘地区
の整備事業に伴う調査のため,
広く,また深くは掘ってないとのこと。
建物跡1の広さは
2間×5間
建物跡は平安時代以降のものも
見つかっている。
建物1の南西側
焼け土が見られる
建物1の北東側
ここにも焼け土や炭などが残る
建物の全体像はわかっていない
列石も見られる
建物1の南には堀の跡
も確認された。
新聞紙上では蘇我氏の邸宅跡発見というように発表されていたが,奈良文化財研究所員の説明ではこの点に関して慎重だった。建物跡が狭いものであり,また平安時代以降もここに建物があったことから,今回見つかった建物跡は安易に蘇我氏の邸宅と結びつけることができないと考えられる。しかし,所員の解説の中では,以前この近くで焼けた土や土器などが多く発見されたこと,今回の発掘調査でも7世紀前半のものとされる土器片が多数発見されたことから,ここが「蘇我氏の邸宅の候補地である」とされていた。この遺跡を見学に来ていた多くの参加者が望んでいるように,さらに上に拡大して発掘し,遺跡の全体像を解明してほしいと願っている。