飛鳥発掘

蘇我馬子の邸宅跡?発見

 蘇我馬子(そがのうまこ)の墓ではと言われる石舞台古墳の西にある島庄(しまのしょう)遺跡で,掘っ立て柱の建物跡が見つかった。3月13日の現地説明会では,発掘した場所には,7世紀前期,中期,後期の3つの時代の建物跡があると説明があった。これらの柱跡のうち,前期の建物跡が蘇我馬子の邸宅跡の可能性が高い。
 日本書紀(22巻推古天皇)では馬子の邸宅について次のように書いている。「(馬子は)飛鳥川の辺りに家居した。その庭の中に小さな池を掘り,池の中に小さな嶋を築いた。それで人々は嶋大臣(しまのおおおみ)といった。」−『日本書紀』宇治谷孟 講談社学術文庫より引用。これまでの調査で,発掘地の近くに人工池」跡が確認されており,その池との位置関係で,今回発掘された柱跡が馬子邸宅跡であろうとされている。
 また,発掘地では草壁皇子の島宮(しまのみや)の可能性が高いと考えられる柱跡も見つかっている。大化改新の後,蘇我氏の邸宅跡に中大兄皇子(天智天皇)や天武天皇が離宮を築いたのではないか推測される。


飛鳥浄御原宮の石敷きの広場や建物跡発見

飛鳥京跡第152次調査

 板蓋宮跡から飛鳥寺への遊歩道脇で,深さ80センチの排水路とみられる石組み溝が見つかった。橿原考古学研究所のホームページで詳しく解説されているが,土器や木簡の削り屑が大量に発見されたらしい。
飛鳥京跡第151次調査

 伝板蓋宮の南西で,石敷きの広場や建物跡が見つかった。県立橿原考古学研究所のホームページによると,これらは天武天皇の飛鳥浄御原宮(きよみはらのみや)の内郭正殿とみられる。三重の塀で区画され,天皇のプライベート空間ではないかと推測されている。

 建物跡は東西12メートル以上,南北6メートル以上。確認されたのは全体の約4分の1とされる。南側に石敷き広場があ。

 建物跡の西側で,庭園らしい池跡も見つかった。