愛知県犬山市丸山 白山平山(はくさんびらやま:標高145m)頂上にあり,古墳時代前期に位置する前方後方墳(墳丘長約70m,後方部幅約50m,高さ8m,前方部幅約40m,高さ6m)です。2012年9月末,現地説明会が行われました。
犬山成田山(成田山名古屋別院大聖寺)本殿より見る国宝犬山城
東之宮は「ひがしのみや」と読むのが一般的ですが,「とうのみや」と記載されている資料もあるとのことです。古墳の全長は約70mで,愛知県では最も古い前方後方墳です。(前方部は西向きで,犬山観光案内所のHPでは全長約78mとなっています。)昭和48年に発掘調査が行われていますが,その際,11枚の三角縁神獣鏡(三角縁複波文帯三神三獣鏡他)などの鏡や車輪石,ひすい製勾玉・管玉,鉄刀などの副葬品が見つかっています。これらの副葬品から大和政権とのつながっていたと考えられており,この古墳が4世紀に造られたものと推測されています。(3世紀という説もあります。)尾張地区では古い古墳で,木曽川中流域の左岸に面しており,尾張地区北部一帯を支配していた首長の墓と考えられます。
東之宮古墳出土鏡(京都国立博物館)
東之宮古墳へは犬山成田山の本殿まで上がり,左の通路から新生大仏に向かって歩きます。そこから右手広場を東に歩き,山道を5分程登るのが近いようです。
前方部前には「東之宮社」が鎮座しています。犬山城主の織田信康が針綱神社を遷座したと言われています。
石槨の4つの壁の内,東側のみ幅1m以上,高さ50㎝の一枚石が床面に置かれ,この上に石材が積まれているのがわかります。他では見られない特徴です。
石槨の床面は小石の上に粘土がしかれ,その上に木棺が置かれていたようです。木棺は,粘土床の形状から,木をくり抜いたものだったと考えられています。写真ではわかりにくいのですが,粘土台の真ん中がくぼんでいます。
今回の発掘調査は昭和48年に行われた発掘調査の後に埋め戻された石槨の状況を確認するものだったようです。昭和48年の調査は,東之宮古墳が盗掘されたことにより行われたと記録されています。
昭和48年の調査時,石槨は崩れていました。そこで,埋め戻す際に石材を積んで復元したとのことです。今回の調査で見られる石槨はその時復元されたものです。
石材が赤いのはベンガラと呼ばれる朱色の彩色材(酸化第二 鉄)が塗られているからです。九州の装飾古墳では多く使われ,これを塗ることで魔除けになると言われています。また,「再生」を意味するとも言われています。
竪穴式の石槨の最上部に7枚の蓋石が置かれていました。写真でも分かるように,石と石の接合面は機械で切ったかのようにきれいに密着するようになっており,表面も平に削られています。
7枚の内,最大の蓋石は長さ2.4m,幅1.4m,厚さ15㎝ありました。重さが約1tあるそうです。大きい蓋石は石槨天井部の両端と中央に置かれていました。。
奈良の古墳の多くは近くの天理砂岩が使われているようですが,この地域では近くに石材を調達するところが見当たりません。調査の結果硬質と軟質の2種類の砂岩が使われていました。壁に使われた硬い砂岩は,美濃で産出するものではないかと言うことです。