尾張地区・
愛知県春日井市西部の古代史

 愛知県春日井市は名古屋市の北にあり,瀬戸物の瀬戸市や戦国時代に起こった小牧・長久手の戦いの小牧市などが隣接する人口約29万人の都市。名古屋空港が市の西方にあり,またJR中央線が南部から東部にかけて走っている。市内には,国指定史跡「二子山古墳」,国宝の多宝塔がある「密蔵院」,「小野道風の誕生伝説地」,などの史跡・文化財が多くある。
 詳細は春日井市ホームページ「書のまち春日井」

春日井市役所
春日井市役所
密蔵院
密蔵院
小野道風
小野道風の誕生伝説地
東谷山(愛名古屋市守山区)より春日井市を見る
 名古屋市を中心として愛知県の西地域を尾張と呼んでいる。尾張は織田信長や豊臣秀吉などの戦国の武将を生み育てた地域だが,この地名は,今から1500年以上も前,この地域を治めていた豪族「尾張氏」に由来する。「尾張」は古くは「尾治」と表記されており,開墾・治水の意味を持つ「墾・治(2字とも「はり」と読む)」が使われていた。ここを治める尾張氏は伊勢湾やその北の木曽川・庄内川流域の広大な濃尾平野を支配する大豪族だった。(最下段注@参照)
 春日井市は名古屋市の北にある。平安時代の三跡の一人小野道風
の誕生地伝説があるが,それ以外にもあまり知られてはいないがヤマトタケルの史跡も残る。また,尾張氏と関係がある有力豪族が居住していたところでもあり,市の西部に二子山古墳がある。
尾張古墳

尾張地区(愛知県西部)の大きな古墳 
BEST3

白鳥塚古墳 第3位  白鳥塚古墳(名古屋市守山区大字上志段味)4世紀末

 全長109m 前方部幅40m 高さ5m 後円部径71m 高さ14m 

 築かれた頃は古墳の頂部に長石が置かれていたが現在はない。この石が光り輝いていたことから,「白鳥塚」の名がついたとも言われている。



青塚古墳
第2位 青塚古墳(犬山市大字楽田)4世紀後半〜末

 犬山市の中心から南へ6q,台地上に築かれた前方後円墳で,その形は畿内の影響が強い。「王塚」「茶臼山」ともよばれており,4世紀中頃の古墳時代前期に造られた尾張地域の古墳としては古い。
 県下2位の規模で,全長123m,前方部62m,高さ7m,後円部径78m,高さ12m。前方部に2段,後円部に3段のテラスがあり,各段の周りに埴輪が並べられていた。この規模からすれば,尾張北部を支配していた盟主墳であり,かつてのこの地域は畿内勢力が東国へ進出するための拠点だったとも考えられる。(参考文献@による)
 犬山市によって整備され,形が整った美しい古墳として復元されている。

 詳細は犬山市ホームページの青塚古墳史跡公園 へ
1位 断夫山(だんぷさん)古墳(名古屋市熱田区)6世紀

 全長151m 前方部幅112m 後円部径80m 高さ16m 尾張地方最大の前方後円墳

 4世紀から6世紀にかけて近畿地方を中心として大王や豪族の墓である古墳が造られた。古墳が造られた時期を前期・中期・後期の3つに分けると,大阪府堺市の大仙古墳に代表される大規模な前方後円墳が全国で造られているのは中期である。しかし,尾張地方では後期になって熱田神宮の北に位置する断夫山(だんぷさん)古墳(名古屋市熱田区)などの墳丘長が150mを越える比較的大きな古墳が造られた。断夫山古墳は,県下1位の規模で,この近くに熱田神宮があることからも,伊勢湾沿岸の海人(あま)を率いた尾張氏の墓とされている。

断夫山古墳の南西角より左側面を見る(3枚ともデジタル合成写真)

断夫山古墳の北,後円部を見る

断夫山古墳の南,前方部を見る
 揖斐川
揖斐川
 尾張氏と「海人(あま)」一族

 伊勢湾沿岸の「海人」(あま−現在,愛知県南部に海部(あま)郡という地名がある)は単に漁業を主労働としていた一族ではなく,木曽川,長良川,揖斐川の木曽三川を利用してそれぞれの上流地域と交流するための技能(造船や操船)を持っていたとされる。また,当時陸路で木曽三川を渡るのは川の増水時期は困難なことだったろうから,伊勢湾を船で渡るほうが楽と考えられる。尾張地域と伊勢地域は船でも結ばれていただろう。尾張氏は「海人」一族と深く関わり,この地域に強大な力を持った。
 大海人皇子(後の天武天皇)の乳母は,尾張郡海部郷出身で,その首長である大海氏の娘であった。
 古代の海−伊勢湾岸は現在の熱田区までであり,断夫山古墳は海岸線近くに造られていた。海を支配していた尾張氏はやがて内陸地の広大な水田地帯も支配する。


元伊勢籠神社


冠島
 丹後半島元伊勢籠(この)神社と海人氏・尾張氏
(京都府宮津市字大垣)

 丹後半島の付け根,天橋立の北に2000年以上の歴史を有する元伊勢籠神社がある。垂仁天皇及び雄略天皇の時代に天照大神と豊受大神が現在の伊勢に遷されたので,「元伊勢」と名がつけられた。祭神は「彦火明命(ひこほあかりのみこと)」−またの名を「天火明命(あめのほあかりのみこと)」「天照国照彦火明命」。ここの神主家は丹波国造から始まり,大化改新後に祝部(はふり)となって現在の宮司に至るまで代々海部(あまべ)氏が直系で世襲してきた。
 国宝海部氏系図は現存する日本最古の系図であるが,始祖彦火明命が2枚の神鏡を天祖から授かって海上の冠島に降臨したと記載されている。  伊勢湾を中心に活躍した「海人(あま)氏」も尾張氏も太陽神である「天火明命」を祖神とした。現在の宮津市一帯にいた海洋民である海部氏一族が太平洋側へ移り住み,尾張氏と深くつながったと考える。つながりの深さ故,海部氏一族の祖神である「天火明命」を尾張氏の祖神ともしたのではないか。
 このつながりによって,尾張氏にとっては伊勢湾一帯の水運と漁業を完全に支配することができた。また,尾張氏は伊勢神宮の始まりに大きく関わっていたとも考えられる。
 
熱田神宮
熱田神宮
 熱田神宮(名古屋市熱田区)

 熱田神宮は熱田大神(草薙剣)を祭神としている。昔から「熱田さん」として親しまれ,正月ばかりでなく,年間を通して参拝者が絶えない。
 また,ここには尾張氏の遠祖として仰がれる宮簀媛命(みやずひめのみこと)や建稲種命(たけいなだねのみこと)も祀られている。 (参考 熱田神宮由緒書)
 東海市から名古屋市南部一帯を支配していた尾張氏は次に名古屋市の熱田地区に進出し,やがて,名古屋市北部から春日井市を含む尾張西部,北部へと勢力を伸ばしていった。
 
味鋺神社
味鋺神社
味鋺神社(名古屋市北区楠町)

 味鋺・味美地区は物部氏との関係が深い。
 味鋺(あじま)は「物部氏の可美真手命の名にちなんでいる。宇摩志摩治命とも表記する。可美真手命は饒速日命の御子で、物部氏の祖神とされている。神武の御代、宇麻志麻治命は物部一族を率いて尾張国に居住したと伝えられている。大和朝廷の権力が及ぶにあたって、物部氏族は平地から山手の土岐の方に追われたとされている。」(以上「」内は「神奈備にようこそ!」) からの引用(管理者承諾)

<漢字読み>
饒速日命(にぎはやひのみこと)−天照大神の孫にあたる
可美真手命(うましまでのみこと)
宇摩志摩治命(うましまじのみこと)

味 美 (あじよし) 古 墳 群
 春日井市の東部から南部にかけて庄内川が流れている。味美古墳群はこの川の右岸にある。南に味鋺(あじま)古墳群,東に勝川古墳群が隣接しているが,尾張地方の権力者たちはこの川や支流の水運を利用して物資を運んだり,農業に役立てていた。
 春日井市西部から名古屋市北区の古墳群はかつて180もあったとされるが,ほとんど滅失しており,現在は味美古墳群として4基が存在するだけとなった。その中でも,二子山古墳は1936年(昭和11年)12月16日に国の史跡に指定された極めて状態が良い,規模の大きな前方後円墳である。現在,この一帯は史跡公園として整備され,ハニワの館を建てて貴重な遺物を展示している。  
味美地図
味美古墳群古墳配置図と春日井市西部略地図
二子山古墳
画像作成 Akira Mouri
古墳地図
 白山神社
白山神社・白山神社古墳(二子町)
 白山(はくさん)神社古墳 5世紀末
 全長86m 前方部幅48m 高さ5m 後円部径48m 高さ6.5m 前方後円墳(愛知県教育委員会測量値)
 周囲に濠がある
 白山神社古墳の頂上に社が建っている。この古墳は可美真手命(うましまでのみこと)または御子の味饒田命(うましにぎたのみこと)の墓と伝えられる。
 二子山(ふたごやま)古墳,春日山(かすがやま)古墳,御旅所(おたびしょ)古墳などと合わせて味美古墳群を形成する。
 白山神社の祭神 は,伊邪那岐命(いざなぎのみこと),伊邪那美命(いざなみのみこと),可美真手命,菊理比売命(くくりひめのみこと),天児屋根命(あめのこやねのみこと) で,可美真手命は物部氏の祖神とされている。
 近接する名古屋市北区味鋺にあった物部神社(祭神は可美真手命)を合祀している。
 
 平成19年,初めてこの古墳が発掘調査され,古墳北西部より円筒埴輪列が発見された。7月7日,現地説明会が開かれた。発掘された部分を見ると,円筒埴輪が約5p間隔で並べられ,4・5本ごとに大型の朝顔型円筒埴輪が置かれていた。また,埴輪の基底部は土中に埋めて固定されたと推測されている。(参照 円筒埴輪の配列
 
御旅所古墳
御旅所古墳(二子町)
御旅所(おたびしょ)古墳 5世紀末

 直径31m 高さ2.9m の円墳
 墳頂には祠が設置され,祭事の際に特別な場所として扱われている。周囲をフェンスで取り囲んでいる。
二子山古墳

二子山古墳
味美二子山古墳(愛知県春日井市二子町)
 味美(あじよし)二子山古墳 5世紀末〜6世紀初

 全長約95m 前方部幅65m 高さ8m 後円部径48m 高さ8m 前方後円墳
 
 白鳥塚古墳に次いで尾張地方第4位の規模,国の史跡に指定されている

 味美二子山古墳は断夫山古墳とほぼ同時期に造られた前方後円墳。これら2つの古墳は墳形や出土品が類似していることから,被葬者は何らかのつながりがあったと考えられる。
 5世紀,鉄製農具や灌漑工事などの農業技術の発達によって,大規模な水田開発が可能となった。また,同時に古墳の規模も大きくなっていった。春日井市西部地域は,尾北の丘陵地と伊勢湾に挟まれて水田開発をするには最適な平野部にある。ここに味美二子山古墳のような大きな古墳が造られていることから,早くから水田開発に取り組んでいた豪族たちの姿も見えてくる。伊勢湾岸や名古屋市一帯を支配し強大な勢力となっていた尾張氏はこれら豪族ともつながり,内陸への勢力を拡大した。

 尾張連草香(おわりのむらじくさか)は娘の目子媛(めのこひめ)を継体天皇に嫁がせて,天皇の外戚となった。継体天皇と目子媛との2人の子は大王となる。これにより尾張氏は大和王権とも密接につながり,益々その支配力を大きくしていった。味美二子山古墳の被葬者は尾張氏の勢力下にあった豪族と考えるが,断夫山古墳を尾張連草香の墓,
味美二子山古墳を目子媛の墓とする説もある

 「壬申の乱」では,物部氏の働きにより,この二子山古墳の豪族の子孫たちが活躍したと考えられる。
 埴輪埴輪
埴輪埴輪

二子山古墳出土品
(ハニワの館-春日井市教育委員会 文化財課)
画像をクリックすると拡大した写真を表示します
  ハニワの館(二子山公園内)展示品

 これらの埴輪は春日井市内の下原地区の須恵器窯で焼かれたもの。一般的な赤い土質の埴輪とは違い,灰色で堅いのが特徴。
春日山古墳
春日山古墳(中新町)
春日山(かすがやま)古墳 6世紀中

 全長72m 後円部径38m 後円部高さ6m 前方部幅50m 前方部高さ4.5m 前方後円墳
 埴輪の発見なし
 現在は公園として整備されている。

春日井市内の主な古墳
春日井市で見られる古墳はその多くが古墳時代後期(6世紀末)に造られた横穴式石室をもつ円墳。
春日井古墳図
 愛知県春日井市内には多くの古墳が存在していた。しかし,道路,公共施設,家屋などの建設によって現在は消滅した古墳もある。現在24基の古墳が現存しているが,場所が分かって確認できた古墳は以下のとおり。

親王塚古墳


親王塚古墳
親王塚(しんのうづか)古墳(春日井市大留町) 

 大留町の神明社境内にある。直径14〜15mの円墳。

横穴式石室で長さ4m,幅1.3m〜1.6m,天井までの高さ1.8m
 須恵器や鉄製品,人骨が発見された。被葬者は2名と推測されている。
 後醍醐天皇の皇子の遺品をおさめたとの伝承がある。



高御堂古墳
高御堂(たかみどう)古墳(春日井市堀ノ内町)

 全長63m 後方部幅23m 高さ5m 前方部幅23m 前方部高さ3m 
 4世紀頃に造られた春日井市唯一の前方後方墳
 二重口縁壺(にじゅうこうえんつぼ:壺型埴輪)が発見された。
 
廻間1
廻間第1号墳
廻間(はざま)第1号墳(春日井市廻間町)

 玄室奥行4.2m 幅1.5m
 春日井市東部丘陵地の標高100mの地点で,廻間町内にある岩船神社社殿の裏にある。
 かつてこの地区には1号から7号までの古墳があったが,農業用のため池や農地開発のため2号から6号までが滅失しているため位置も不明。

 6世紀末〜7世紀初の古墳。
廻間7
廻間第7号墳
廻間(はざま)第7号墳(春日井市廻間町)

 廻間1号墳より北東に約500mの場所の標高117mの地点にある。直径11mの円墳。
 道路を造るために古墳の約3分の1が削り取られた。
荒子古墳
大留荒子古墳
大留荒子(おおどめあらこ)古墳(春日井市大留町)

 直径約10m 円墳
 付近にもいくつかの古墳があったが消滅している。親王塚古墳を含めた古墳群が形成されていたらしい。
 現在は荒子公園内に移設されているが,もとはここから200m北西にあった。
高蔵寺3


高蔵寺第3号墳
高蔵寺(こうぞうじ)第3号墳(春日井市高蔵寺町)

 直径約10m 高さ約5m
 庄内川右岸の河岸段丘上にある
 現在住宅地内に復元保存されている。
 高蔵寺には6基の古墳があったが,現存するのは3・5号墳のみ





天王山古墳
天王山古墳(春日井市大留町字西島

 天王山古墳はこれまで竹藪の中にあったため,その所在は地元の人でもはっきりとはわかりませんでした。
 春日井市教育委員会文化財課による平成15年からの調査によってこの古墳の存在が特定され,2段のテラス面を有する直径約30mの円墳と分かりました。
 写真上
 平成22年6月19日に発掘調査現地説明会が行われ,一般に公開されました。テラス面から二重口縁壺(にじゅうこうえんつぼ:壺型埴輪−料理に使う壺と違って底にも穴が開いている)の破片が見つかっている。これは,犬山市の青塚古墳,春日井市の高御堂古墳に次ぐ3例目。
 写真中
 墳頂部より高杯・器台などの土器が発見された。
 写真下
 古墳全体に川原石が葺(ふ)いてあった。これらの石は近くを流れる庄内川から持ってきたものと推測される。それらの置き方を観察すると,下方は上方よりやや大きめの石が使われており,横向きに置いて崩れるのを防いでいるように見える。 
高蔵寺5
高蔵寺第5号墳(春日井市玉野町)
大久手
大久手古墳(春日井市石尾台) 玉川小学校に移設復元
三明神社古墳
三明神社古墳(春日井市神領町)
富士社古墳
富士社古墳・東神明遺跡(春日井市東神明町)
八事神明
八事(やごと)神明社古墳(春日井市八事町)
愛宕神社
愛宕(あたご)神社古墳(春日井市勝川町)
神領古墳
神領(じんりょう)第1号墳跡(春日井市神領町)
オセンゲ古墳
オセンゲ古墳(春日井市大泉寺町)
高座山
高座山(たかくらやま)第1・2・3・4号墳(春日井市高座町内の山林)

気噴(きぶき)第7号噴(春日井市気噴町)

尾張北部地域の代表的な古墳
東之宮古墳
継鹿尾山寂光院から東之宮古墳方向を見る
東之宮古墳
東之宮(ひがしのみや)古墳
(愛知県犬山市丸山 白山平山)
 東之宮(ひがしのみや)古墳は愛知県北部の丘陵地,犬山市にある標高145mの山頂にある前方後方墳

 3世紀初めに造られた古墳で,竪穴式の石室,割竹形の木棺,埴輪がないこと,多くの副葬品などから尾張地域でも最も古い古墳と推測されている。
 全長約78m 前方部幅約43m 高さ6m 後方部幅約47m 高さ8m
 
 古墳内から三角縁神獣鏡や勾玉,太刀などが出土した。三角縁神獣鏡の出土は,この地域の豪族が中央と深く結びついていたことを物語る。


東之宮古墳 発掘現地説明会
宇都宮古墳
宇都宮神社・宇都宮古墳(愛知県小牧市小木)
 小木古墳群の中で最大の前方後方墳 三角縁神獣鏡が出土している。

 全長約59m 前方部幅約22m 高さ6m 後方部長約34m 高さ8m

東谷山(とうごくさん)及びその周辺
 東谷山
東谷山と庄内川
  名古屋市守山区と春日井市東部との境を流れる庄内川沿いに,尾張北部一帯を眼下に見下ろす東谷山(とうごくさん)がある。名古屋市の北東にあり,名古屋市内最高峰である(海抜198.3m)
 山の斜面から西南の地域にかけて多くの古墳があり,一大古墳群を形成している。
 庄内川は名古屋市と春日井市の境を流れる。かつてこの水運を利用して様々な物資が運搬された。勝川地区にあった古代寺院の川原寺式瓦は,上流の東谷山近く,高蔵寺地区の瓦窯でつくられ,庄内川を利用して勝川まで運ばれたと考えられてる。
 東谷山
尾張戸(おわりべ)神社(東谷山頂上)
 尾張戸(おわりべ)神社(名古屋市守山区)

 頂上には尾張氏の祭神「天火明命(あめのほあかりのみこと)」が祀られている尾張戸(おわりべ)神社がある。この神社は古墳の上に建てられている。また,味美古墳群が造られた時代より古い前期古墳時代に属する。由緒書きによるとここは「尾張氏の本貫の地」であり,「『東谷山は熱田(神宮)の奥の院である』と言い伝えてきた」とされる。この辺りの豪族たちを支配下に置き,知多〜尾張地方一帯を支配していた尾張氏の力の強大さは想像以上のものがある。
白鳥塚古墳
白鳥1号墳
白鳥(しらとり)1号墳(名古屋市守山区)

 直径17m 高さ3.5m の円墳 石室全長9.8m 幅1.6mでほぼ完全に原形をとどめている。
 古墳内からは,刀,須恵器,土師器,鉄製道具などが見つかっている。
東谷山
東谷山頂上付近
東谷山の古墳(名古屋市守山区)

 東谷山の西北面には40をこえる古墳がある。6世紀から7世紀にかけてのもので,円墳である。多くは玄室が壊れていたり宅地化されていたりする。これらの古墳からは須恵質の埴輪や鉄製の道具などが見つかっている。

尾張地域の統合
3〜4世紀前半 
 ★木曽川左岸
  愛知県北部,木曽川左岸の山の頂(犬山市)に東之宮古墳(ひがしのみやこふん)ができる。
  また,一段下がった丘陵地(小牧市内)に小木古墳群ができる。五篠川周辺の弥生時代後期からの集落(小牧・江南・岩倉市)が統一されていた。
 ★庄内川左岸
  尾張戸神社古墳も庄内川左岸にある東谷山の頂上に築かれる。
 ★庄内川右岸
  高御堂古墳ができる。付近の神社から銅鐸が発見されており,この古墳がある地域は弥生時代末期の遺跡が存在した。
4世紀後半から末
 ★木曽川左岸
  青塚古墳が築かれる。丹羽郡,犬山市などを支配していた権力者が存在した。畿内勢力が東国に進出したときの拠点とされる場所に造られる。
 ★庄内川左岸
  白鳥塚古墳が東谷山の西の麓に築かれる。
 ★庄内川右岸
  内津(うつつ)川沿いに,富士社古墳やオセンゲ古墳などの2段築成で埴輪がない円墳が多く築かれる。
5世紀後半 
 ★庄内川右岸+木曽川左岸
  味美古墳群(白山神社古墳・二子山古墳を中心として)の被葬者によって,庄内川右岸から木曽川左岸地域が統一される。
 ★庄内川左岸
  名古屋台地の勢力と統合
6世紀前半
 ★庄内川右岸−二子山古墳の被葬者
      ↓↑姻戚関係を結んで同盟・統合
 ★庄内川左岸−断夫山古墳の被葬者
      ・
      ・
      ・
      V
6世紀中〜
 ★尾張全地域
    尾張氏による統合                     参考文献Aによる


「日本の古墳(日本の巨大古墳100)」 へ

付記 「壬申の乱」と尾張

 東谷山から
東谷山から西を見る(中央は庄内川,
遠くには養老山脈や伊吹山が見える) 「壬申の乱」と尾張

 大海人皇子側の物部雄君(もののべのおきみ)は尾張一帯を治めていた尾張氏と深くつながっていた。物部雄君によって情勢を的確に判断した尾張氏は,大海人皇子につくことを決意する。 そのころ,朝廷から派遣されていた役人の小子部さ鉤(ちいさこべのさひち)は朝廷の命を受けて,先帝の陵を造るために現在の名古屋市,春日井市,西春日井郡を含む尾張国一帯から30000人を集めていた。尾張地域の権力者尾張氏がこの者たちを大海人皇子側の兵となるよう小子部さ鉤を説得し,不破に向かわせた。不破に着いた兵たちは,大海人皇子によって分散され,美濃や三河からの兵と一緒に,新しい将軍のもとで再配備されて行動した。小子部さ鉤にとっては大海人皇子につくことは本意ではなかったのかもしれない。朝廷に対する裏切り行為と考えた小子部さ鉤は,後に自害している。
参考
@中日新聞2000年11月1日 「東海学の創造」尾張の古墳から
A「味美二子山古墳の時代」第1・2・3分冊 春日井市
B第8回春日井シンポジウム 講演
C「神奈備にようこそ!」http://www.kamnavi.net/index.htm
D「ようこそバーチャル・スクールへ」http://anny.kinjo-u.ac.jp/~nakata/Nakata/VirtualSchool/danpusan.html

http://www.city.kasugai.aichi.jp/kensetsu/koenryokuti/int-b6.html 
http://www.city.kasugai.aichi.jp/kyoikuiinkai/bunkazai/gui-h3_a.html#futago

日本の巨大古墳ベスト10
@大仙古墳(仁徳天皇陵:大阪府堺市大仙町 全長486m) 
A誉田山(こんだやま)古墳(応神天皇陵:大阪府羽曳野市誉田 全長420m)
B上石津ミサンザイ古墳(履中天皇陵:大阪府堺市上石津 全長365m)
C造山古墳(岡山県岡山市新庄 全長360m) 
D河内大塚古墳(大阪府羽曳野市・松原市 全長335m) 
E見瀬丸山古墳(奈良県橿原市五条野町 全長318m) 
F渋谷向山古墳(奈良県天理市渋谷 全長302m) 
G土師ニサンザイ古墳(大阪府堺市百舌鳥西之町 全長288m) 
H仲ツ山古墳(大阪府藤井寺市沢田 全長286m) 
I作山古墳(岡山県総社市三須 全長286m)
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