二子山古墳出土埴輪(ハニワの館−愛知県春日井市二子町公園内)



 日本では1万年以上も前から土器が使われ,「縄文土器」,「弥生土器」として知られている。古墳時代前期・中期始めまでは野焼きによって作られた「土師器(はじき)」が使われたが,中期からは朝鮮半島の土器の生産技術が伝わり,硬質で灰色の「須恵器(すえき)」が日常用の土器としても使われるようになった。味美二子山古墳からは,このような須恵器や須恵器と同じ方法で焼かれた埴輪が多数出土している。野焼きでは800度ぐらいが限度だったが,須恵器は山の斜面を利用して,天井のある半地下式の窯で焼かれるため,1200度以上の高温になった。そのため,硬く,灰色をしているのが特徴となっている。
 この土器や埴輪を生産したのが春日井市の北部にある「下原(しもはら)古窯」(左)で,現在も市の教育委員会によって調査がおこなわれている。 須恵器作りの技術は朝鮮半島からの渡来人がもたらしたが,彼らがこの春日井の地に技師として中央から派遣されていたと考えられる。また,ここで焼かれた土器が藤原京跡から発見されている。このことは,春日井市の西部を支配していた人物が中央と深いつながりを持つ強大な力を持つ者だったと推測できる。
 
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