高松塚古墳現地説明会

これまで全体が竹で覆われていた高松塚古墳ですが,「国宝高松塚古墳壁画恒久保存対策」を検討していくための調査としての発掘作業が進められ,その報告会が2005年2月27日に行われました。

高松塚古墳
 
高松塚古墳の最初の調査は昭和47年3月で,このとき人物壁画の発見が新聞やテレビなどで大きく報じられた。高松塚古墳壁画
 昭和51年には文化庁が壁画の保存施設を建設した。高松塚古墳は全面竹に覆われ,古墳南面にその施設への入り口を見せていた。離れた位置から全体を見て,なんとなく円墳かと思う程度だったが,今回の発掘調査で,その大きさや築造時期までも分かってきた。
 
古墳全体をビニールで覆った状態で発掘が進められた。

 
古墳の東面(左)と北面(右)
昭和47年の調査の後,埋め戻された跡が見える。

発掘によってこの古墳が上下2段の円墳であり,周溝が確認されたことで,下段は直径23m,上段は18mとなることが分かった。

 
 墳丘は土をつき固めた版築(はんちく)とよばれる工法で造られており,その構造や出土土器(須恵器)から,この古墳が藤原京の時代に造られたと考えられている。
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