石神遺跡
奈良文化財研究所飛鳥藤原宮跡発掘調査部が行ってきた石神遺跡の調査によって,古代の地方行政区分を示す木簡や帳簿木簡,荷札木簡などこれまで多くの木簡が発見されました。また,16次の調査では古代の定木も発見されました。 石神遺跡はこれまでの調査によって,斉明朝の遺構,天武朝の遺構,藤原京時代の遺構と3期の遺構が混在していることがわかっています。これまで公開された遺構は,藤原京時代に天武朝に造られた池状の遺構を埋めて造られた石敷き,石敷き井戸,溝,建物跡などです。溝からは土器や木簡などが多量に出土し,15・16次の現地説明会会場でその一部が公開されていました。500点以上(削りくずを含む)の木簡で特に目を引くのは,「大学官」のようになどの古代の官吏(官司)を示すものや,「物部五十戸人」(物部は尾張国の地名,五十戸は後の里)「乙丑年十二月三野国ム下評」(乙丑年=天智4年,665年 庚午年籍が出されたのは670年,三野国ム下=美濃の国武芸郡,評=こおりと読むが701年大宝令以降になると「郡」と表記される)などの行政区分を示す文字が書かれたものです。ほとんどが荷札的なものであったようですが,これらの発見によって,701年以降は「国-郡-里」となる区分が,庚午年籍が出る以前において,「国-評-五十戸(里)」と表記されていたことがわかります。「五十戸」が「里」に変わるのは682年前後であろうと言われています。 (以下の写真は15次のもので,奈良文化財研究所飛鳥藤原宮跡発掘調査部に確認の上掲載しています。) |
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発掘された石神遺跡を西から見る |
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藤原京時代の石敷き井戸跡 |
池状の遺構 |
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建物跡 |
南北の溝跡 |
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16次調査のようす |
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須弥山石(飛鳥資料館 複製)
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斉明朝の遺構として酒船石が有名ですが,日本書紀に登場する「宮の東の山に石を積んで垣とする」の記述を裏付ける遺構が発見されました。 亀形石造物の遺跡を見て酒船石のある山の上を目指して登る途中に平成4年に発見され,復元された石垣の遺跡を見ることができます。このような石垣が何段にも山を取り囲んでいたと考えられていましたが,今回の発見はその石垣の東端ではないかと推測されるものです。残念ながら現地は足場が悪いため一般公開は難しく,スライドを使っての説明となったようです。 |
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平成4年発見の復元遺跡
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万葉文化館から酒船石遺跡全体を見る
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