<人物画像の見方>
①人物画像は時代ごとに整理されています。下の各時代の画像の上でクリックしてください。 上の「人名読み仮名さくいん」からは人物に直接アクセスできます。
②左の坂本龍馬の場合、設置場所を示す小画像が並んでいます。このように各人物一人について設置されている場所ごとに整理されています。さらにこの小画像をクリックすることで様々な角度から撮影した小画像を見ることができます。これをクリックすると大きな画像やスライドショーなどで見ることができます。見方の詳細は上の「アルバムの見方」をクリックして見てください。
<縄文時代>
1万年以上前から紀元前3世紀頃まで、移住を繰り返し、狩猟、漁労生活をしていた時代から次第に稲作を始めた時代で、縄文土器を使っていました。
<弥生時代>
紀元前4世紀~3世紀(西暦300年代)ごろまでの600年間、縄文時代後期から続く稲作が発展し、弥生土器を使っていた時代です。この時代の後期には邪馬台国の女王卑弥呼が「くに」をまとめて支配していました。
5世紀ごろ、大和朝廷(大和王権)の支配力が日本全国に及び、国が一つまとまっていきました。大王(おおきみ)とよばれる権力者はその力を誇示するように前方後円墳など大きな墓を築きました。これら大阪地域に多くあります。日本武尊は国を一つにまとめていく上で重要な役割を果たした人物だと言われています。
奈良県にある平城京で天皇を中心とする政治が行われていた時代です。聖武天皇が奈良に大仏・大仏殿を建立し、中央集権国家が完成しました。大仏造りには多くの労働力を必要としました。民衆のために仏教を説き働いていた行基の力があってこその一大事業でした。また、この時代は西洋・唐の文化が多く入り政治も変化してきました。
桓武天皇は現在の京都、平安京に遷都しました。ここから鎌倉に政権が移るまでの約400年間を平安時代と言います。この時代は貴族文化が花開き、政治も藤原氏が握っていました。後半は武士が誕生し、平清盛が実権を握りました。その後源義経が平氏との戦いで大活躍するなど、平氏と源氏が争いを繰り返していました。
源平の合戦に勝利した源頼朝は神奈川県の鎌倉に幕府を開き、武士最高権力者である将軍とその家来である御家人との主従関係を基盤とした武士による政治を行いました。源氏が滅んだ後は北条氏が権力を握り、この時代は約150年間続きました。また、親鸞や日蓮らが新しい仏教を民衆に広めていきました。後半は幕府に不満をもつ武士たちの争いが起こりました。
後醍醐天皇を中心とした建武の新政は2年で幕を閉じ、代わって足利尊氏が京都で光明天皇をたてて朝廷(北朝)をつくり、実質的に政治の実権を握りました。しかし、後醍醐天皇も奈良県の吉野で朝廷(南朝)をつくり政治を行っていたのでこの時代を南北朝時代と言います。その後、足利義満が南北朝を統一し、京都室町で幕府政治を行いました。
織田信長 豊臣秀吉 徳川家康 三英傑が活躍する時代です。
室町時代の後期は日本各地で「群雄割拠」がおき武士による争いが起きました。領地を拡大した戦国大名はさらに勢力を広げるために戦いました。織田信長は滋賀県に安土城を築きカリスマ的な力を示していました。しかし、天下統一を実現することはできず、家来だった豊臣秀吉がその意志を引き継ぎ実権を握りました。秀吉の居城が京都伏見(桃山)にあったので、信長と秀吉の約30年間を安土桃山時代とよんでいます。戦国時代とは室町時代1467年の応仁の乱~安土桃山時代の大阪夏の陣まで、武士による戦乱の世をさしています。
1603年征夷大将軍となった徳川家康によって江戸に幕府が開かれ、15代将軍 将軍徳川慶喜の大政奉還まで、徳川の政治が265年間続きました。この間、江戸幕府は鎖国令を出し、一部の国を除き外国の船が来航することを禁止しました。そのため国内の文化や学問が大きく発展し安定した政治が長く続きました。しかし、幕府は財政の立て直しのため何度か大きな改革を行うことがありました、これらにより不満を持つ武士たちも多くなってきました。
江戸時代後半は鎖国中の日本に外国の船がやってくるようになり開国を求めました。江戸幕府の力が衰え始めてきた1853年アメリカからペリーが黒船で来航し、これが契機となって国内では討幕運動、尊皇攘夷運動などが起こりました。1867年大政奉還により政権が天皇に移譲されるまでの短い期間を幕末とよんでいます。この時代は、吉田松陰、坂本龍馬、西郷隆盛など長州、薩摩を中心とする武士たちが活躍しました。
1868年、薩長出身者が明治天皇を中心とした国家を築きました。江戸は東京となり、西洋の学問、技術や文化を多く取り入れました。これを文明開化とよんでいます。政府は欧米がアフリカ・アジア諸国を植民地化する動きに対抗するため、急速な近代化を進め軍事力も高めていきました。この時代から一世一元の制となり、明治天皇の在位45年間を明治時代といいます。
大正時代は1912年から15年間と短い持代でしたが、政治や文化において自由主義や民主主義が発展する大正デモクラシーが起こりました。この時代の雰囲気を表す「大正ロマン」という言葉も生まれました。
戦前、戦中、戦後に分けられます。日本は朝鮮半島を植民地化し、中国や大国ロシアと戦って勝利したことでさらに支配地域を拡大しようとしました。その後、アメリカ、イギリスなどの連合軍と戦い、敗戦の時代を迎えました。戦後は経済が大きく発展し、恒久平和を願い、国民主権とする民主政治が行われるようになりました。
News
2024/10/8 | ・佐々木小次郎、吉川広家、吉川広嘉、田沼意次、泰期、蘭陵王、二宮尊徳・金次郎、北条早雲、伊豆の踊子、徳川家康、ジョン万次郎を追加しました。 |
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2022/1/20 | ・東郷平八郎(横須賀) 一遍・滝廉太郎・大友宗麟・ザビエル・坂本龍馬・勝海舟・加藤清正(大分) を追加しました。 |
2020/8/30 | ・松尾芭蕉 若山牧水 徳川家康(愛知県新城市)を追加しました。 |
2020/8/17 | ・源義経(山形県 最上町)を追加しました。 |
2020/4/14 | ・キューリー夫人(島根県 三朝温泉)、出雲阿国(島根県)を追加しました。 |
2019/11/18 | ・徳川家康(愛知県 東岡崎駅)を追加しました。 |
2019/9/5 | |
2019/5/19 | ・聖徳太子・岳の新太郎像(佐賀県) 黒田清隆・ウィリアム・ウィリス・高木兼寛・西郷隆盛・西郷従道・伊地知正治・吉井友実像(鹿児島県) 小野道風(愛知県)を追加しました。 |
2019/5/3 | |
2019/1/6 | |
2018/12/10 | ・維新の七志士銅像(佐久間象山 真田幸貫 勝海舟 吉田松陰 坂本龍馬 橋本左内 小林虎三郎 他)(長野県)を追加しました。 |
2018/11/10 | |
2018/9/3 | |
2018/8/5 | |
2018/5/21 | |
2018/4/15 | |
2018/3/12 | |
2017/11/5 | |
2017/8/25 | |
2017/8/16 | この夏北海道を旅行し、これで全国(47都道府県)にある歴史に登場する人物の銅像・石像(銅板・木像・粘土像を含む)を撮影し紹介することができました。 |
2017/8/16 | 北海道(榎本武揚 土方歳三 坂本龍馬 武田斐三郎 新島襄 新渡戸稲造 伊能忠敬 黒田清隆 高田屋嘉兵衛 石川啄木 大友亀太郎 クラーク博士 ペリー提督 ケプロン 他)を追加しました。 |
2017/7/17 | |
2017/6/5 | 福岡県(貝原益軒・広田弘毅)佐賀県(卑弥呼)宮崎県(若山牧水・小村寿太郎・伊東マンショ 他)鹿児島県(弥五郎どん)他を追加しました。 |
2017/5/7 | 大阪(真田幸村 豊臣秀頼 井原西鶴 織田作之助)、山梨(武田勝頼 近藤勇)、静岡(乃木希典 弘法大師)他を追加しました。 |
2017/4/24 | |
2017/4/1 | |
2017/3/27 | 東京都(和気清麻呂 太田道灌 樋口一葉 坂本龍馬) 千葉県(日本武尊 弟橘姫 お万の方 ヴェルニー 海女) 追加しました。 |
2017/3/5 | |
2017/2/5 | |
2017/1/8 | |
2016/12/30 | |
2016/12/15 | |
2016/11/14 | |
2016/11/1 | 東京都内(渋沢栄一・高橋是清・乃木希典・樋口一葉・前島密・勝海舟・榎本武揚・坂本龍馬・吉田松陰・春日局・大石内蔵助・芭蕉・可美真手命・シーボルト・ペリー・ヤンヨーステンほか)や栃木県(足利尊氏・田中正造・那須与一・孔子・日本武尊ほか)を追加掲載しました。 |
2016/9/18 | |
2016/8/25 | |
2016/7/25 | |
2016/7/11 | |
2016/7/8 | |
2016/7/4 | |
2016/6/25 | 銅像の追加、画像修正などを進めています。 |
2016/6/1 |
私は歴史的な出来事の舞台となった市町を訪問し、史跡や資料を見ることが大好きです。
内田康夫さんの推理小説に「浅見光彦シリーズ」があります。主人公「浅見光彦」が日本各地に取材に行き、そこで偶然に出くわした難事件を名探偵となって解決していく物語です。実は彼の仕事は『旅と歴史』という架空の旅雑誌のルポライターです。だから、彼は伝承・伝説などその地にまつわる歴史を調べるというテーマを持って旅に出かけます。(この小説はテレビドラマ化され、多くの俳優さんが「浅見光彦」を演じています)(参考 浅見光彦記念館 asami-mitsuhiko.or.jp)
私の旅はまさに『旅と歴史』そのままで、歴史があるからそこに出かけたいという衝動が生まれてきます。(難事件に遭遇することはありませんが・・・。)旅をすることで、いろんな人と出会い、文字からだけではないいろんな知識を学ぶことができるのが面白いのです。私の中では、「旅」と「歴史」は切り離せないもののように思っています。そのため、古代史関連を中心として、歴史的な事件・出来事が起きたその場所へ行って学ぶということを目的に旅先を決めています。私のホームページ「飛鳥の扉」や「伝説の扉」は私が旅で得た学びを共有化し紹介するという意図で作成しました。
これまでの旅の中で、その地で生まれた、あるいは、活躍した偉人たちの銅像に偶然に出会うことがありました。ある時、旅先で撮影した写真を整理していたところ、意外にも多くの銅像が写っていることがわかりました。
これが私のコレクション癖に突然に火をつけてしまいました。銅像だけをピックアップして整理してみようと思ったのです。これは5年くらい前のことです。
最近の私の旅はまず銅像ありきです。歴史を学ぶこと以上に、歴史上活躍した人物の銅像や石造を見る目的で旅先を決めるようになりました。
このホームページは日本各地の歴史に登場する人物の銅像・石造を紹介しています。全ての画像は私個人が現地を訪問し撮影したものです。銅像の撮影を意識するようになってからは、一体の像をいろんな角度から撮影するようにしました。そのため、ページの中には似たような構図の画像もあります。
☆ここで紹介している人物銅像・石像の画像は、例外として、特定地域に限定される偉人の像を紹介していることがありますが、ほとんどが日本史に登場する人たちです。また。一部、昔話やまんがに登場する像など実際には存在しない人物等の像も紹介しています。単に遊び心で入れています。
☆ほとんどの銅像は屋外に設置してあるため、まわりの風景もいっしょに写っています。銅像が置かれている環境(景色)もできる限りぼかさず一緒に撮影するようにしました。
☆銅像・石造画像を閲覧するためのページを作成するために「jAlbum」(http://jalbum.net/ja/)というアプリケーションの正規版を利用しました。画像を表示させる機能がいくつかあり、とても見やすいページを作成することができたと思っています。
☆すべての画像の著作権は撮影者である私にあります。そのため、一枚一枚の画像にそれを示しています。さらに、右クリックで画像の保存ができないようにしてあります。
☆教育現場や教育目的での使用においては連絡をしていただなくてもPrint Screen(プリントスクリーン)というパソコンの機能を使って、画像の印刷・加工・保存などしてください。それ以外の目的では閲覧のみにしてください。学校での教育目的あるいは書籍やホームページでの公開のために大きなサイズの画像を使用することについてはメールにて連絡をしてください。使用目的を確認後、画像を添付したメールを送ります。商用目的の場合、使用に関しては私への連絡だけでなく、著作権者(設置者・管理者・製作者等)の許諾が必要な場合があります。(参照 著作権法第46条「公開の美術の著作物等の利用」)
☆撮影した銅像・石造の中にはホームページで紹介することに対して許可を必要としているものあるものがあるかもしれません。もしここに紹介している銅像・石像等でそれに該当するものがあれば私にメールで連絡をお願いします。早急に対処します。(一部の室内の銅像は管理者に掲載許可を申請し承諾を得ています。)
石像はと言えば愛知県岡崎市です。岡崎市で石製品が造られたのは室町時代後期からであろうと言われています。岡崎では良質の花崗石、御影石が採取できました。安土桃山時代に、岡崎城主が城下町の整備で石垣や堀を造るために優れた技術を持った大阪の石工たちを招きました。整備後も石工たちは岡崎に住みつき、その数は増えて「石屋町」を形成するまでになりました。
☆管理人への連絡
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renraku@マークasuka-tobira.com
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