飛鳥発掘−藤原京

飛鳥藤原第125次(藤原宮朝堂院東第二堂)発掘調査の現地説明会より
2003年3月15日




「朝堂院(ちょうどういん)」側から大極殿方向を見る

藤原宮の中枢部を明らかにするために,これまでにも何回かの調査が行われてきた。今回現地で報告されたのは現在の国会にあたる「朝堂院」の東側の部分で,北から2番目の建物跡になる。「朝堂院」の規模は東西235m,南北318mで,内部に12のに建物があった。
3月15日(土),雨が降る中現地報告会が開かれたので参加した。そこで発表されたことを簡単にまとめてみた。


赤い四角部分が今回現地で報告された部分
(報告会資料を基にして作図し加筆した)
平面図の@の位置からAを見る。
手前が大納言や中納言などがいた東第二堂(東側2番目)の建物跡。120次の調査結果とあわせて,南北62m,東西15mの規模だったことがわかった。

向こうに見える山は天香具山。
@付近(東第二堂跡)
礎石が柱位置からずれているのは,平城宮に都が移されてから,この一帯が急速に水田化され,礎石として使われていた石がじゃまになって移動されたためと考えられている。
Aから@方向を見る(南北溝と東門跡)
東回廊のほぼ中央,平面図のAの位置に門があった。前期難波宮では発見されておらず,平城宮や長岡宮,平安宮ではその存在が確認されていることから,このような門は藤原京から設けられたものと考えられる。
調査区の北位置から南方向を見る
東第二堂の礎石より大きな1.5mを越える石が発見されたこと,また,雨落溝(あまおちみぞ)が屈折している(写真白いテープ)ことから門が存在していたと推定された。
藤原京式の瓦や土器(須恵器)も出土した。瓦の多くは門などに使われていたのだろう。また,埴輪の一部も発見されていることから,藤原京の造営にあたり,かつてここにあった古墳を壊して整地した上で建物を建てたことがわかる。

飛鳥藤原第128次(藤原宮朝堂院東南隅)発掘調査の現地説明会

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