楫取素彦(かとりもとひこ)・美和子(みわこ)
楫取素彦
山口県萩市で生まれました。小田村家の養子となり小田村伊之助(おだむら いのすけ)を名のり、吉田松陰や久坂玄随ら松下村塾の塾生らと深い関係がありました。 最初の妻は吉田松陰の妹の杉寿(久子)、後に松陰の妹杉文(美和子)と再婚しました。維新後群馬県の県令となり養蚕・製糸業に力を入れ富岡製糸場の発展や教育振興に尽力しました。名県令と称えられています。
楫取美和子
吉田松陰の妹として松下村塾に出入りする志士たちとの交流があり、その一人久坂玄瑞と結婚しました。久坂が新政府軍と戦い自害すると、義兄である小田村伊之助を助けて働きました。姉が病弱で亡くなった後、群馬県令となった楫取素彦(小田村伊之助)の妻となりました。