小村寿太郎(こむらじゅたろう)[1855~1911年]

小村壽太郎 宮崎市の下級武士の子として生まれました。明治政府が派遣する留学生としてアメリカのハーバード大学で法律を学び、帰国後は司法省に入りました。その後、外務省に移り、外務大臣の陸奥宗光と出会いました。第1次桂内閣で外務大臣となり日英同盟、その後ロシア帝国とポーツマス条約を結びました。また、第2次桂内閣の外務大臣として1911年不平等条約の改正(関税自主権回復)に成功しました。