政井みね(まさいみね)[1888~1909年]
政井みねは現在岐阜県飛騨市河合町で生まれました。明治時代の山村部の貧しい女工がモデルとなった山本茂実著の小説「あゝ野麦峠」は映画化もされました。14歳になったみねは家計を助けるために山村部の村から信州岡谷の工場に出稼ぎに出るため、いくつもの山と野麦峠を越えてやってきました。みねが働いた工場は蚕から糸を取り出す作業を一日中行うところで、過酷な労働を強いられました。当時は富国強兵策がとられており、外貨獲得のため日本ができることの一つが製糸業を盛んにして、質のよい生糸を輸出することでした。工場では多くの若い女性が毎日毎日長時間の強制労働をさせられていたのです。国のためには休みなく働くしかありませんでした。女工たちの中には病に倒れ亡くなる者もいました。21歳になって模範の女工となっていたみねもその一人でした。しばらくして飛騨からみねを連れ帰るためにやってきた兄辰次郎はみねに病院に行くことを勧めたのでしたが、みねは故郷に帰りたいと言いました。兄の背中に背負われて野麦峠まで来たとき「ああ、飛騨が見える」と小声で言うと息を引き取りました。明治42年11月20日午後2時、みねはまだ22歳でした。