犬養 毅(いぬかいつよし)[1855~1932年]
現在の岡山県岡山市北区川入で大庄屋の犬養源左衛門の子として生まれました。明治初めの武力による戦いから言論へと大きく変わろうとしているときに、英語の勉強をしながら新聞社で原稿を書く仕事をしました。そして、『東海経済新報社 』を立ち上げ、ジャーナリストとして社会情勢を新聞で伝えました。その後、大隈重信と出会って政治に目を向けるようになり、立憲改進党に加わりました。1929年、立憲政友会総裁となり、1931年に内閣総理大臣となりました。言論の自由と議会政治による民主政治を主張してきた犬養ですが、1932年、大日本帝国海軍急進派の青年将校によって官邸で暗殺されました。(5.15事件)