高木兼寛(たかきかねひろ)[1849~1920年]

現在の宮崎県宮崎市で薩摩藩士の子として生まれました。名は藤四郎です。イギリスで医学を学び、帰国後は脚気の研究に取り組みました。海軍の軍医となり食事を改善することで脚気の撲滅に努めました。 日本初の医学博士となりました。このことがきっかけとなり日本でもビタミンの研究が発達しました。