福島正則( ふくしままさのり) [1561~1624年]

現在の愛知県あま市で生まれました。幼少より小姓として羽柴秀吉(豊臣秀吉)に仕えていました。柴田勝家と戦った賤ヶ岳の戦いでは加藤清正らとともに「賤ケ岳の七本槍」と呼ばれました。その後清洲24万石を領有し、朝鮮出兵でも活躍しました。秀吉の死後は徳川家康につき、関ヶ原の戦いでは東軍として戦功をあげました。広島(安芸、備後)を治めることとなりましたが、広島城修築で問題が起こり所領を没収されました。