毛受勝助家照(めんじょう しょうすけいえてる)毛受勝照(めんじゅうかつてる)[1558~1583年]

愛知県尾張旭市で生まれました。柴田勝家に仕える武将で荘助と名のっていましたが、長島一向一揆の戦いで手柄を立て、勝家の勝を名につけるよう言われ勝助と変えました。賤ヶ岳の戦いでは主君柴田勝家を北ノ庄城に退却できるよう秀吉軍に兄の茂左衛門とともに勝家の旗印を掲げ突撃し二人とも討ち死にしました。