豊臣秀次(とよとみひでつぐ)羽柴秀次(はしばひでつぐ)[1568~1595年]

豊臣秀吉の姉 とも(瑞竜院日秀)の子として愛知県名古屋市大高で生まれました。本能寺の変後、秀吉の重臣として戦い、大阪府貝塚市の千石堀城の戦いで功績をあげ、滋賀県近江八幡市にある八幡山城(はちまんやまじょう)主となりました。ここでは農民の訴えにも耳を傾けたり、琵琶湖の水運を利用するための八幡堀を整備したりするなど領内の発展に尽くしました。2代目関白となった秀次は京都府京都市上京区にあった聚楽第(じゅらくだい)に移り政治を行いましたが、秀吉に言われるままでした。秀吉に秀頼が生まれると、秀次の精神状態もだんだん不安定になり、奇行も語られるようになりました。秀吉は秀次に謀反ありとし、高野山で自害しました。