毛利輝元(もうりてるもと)[1553~1625年]

幼名は幸鶴丸、中国地方で力のあった祖父の元就の後を継ぎ、さらに勢力を拡大していきました。織田信長とは対立していましたが、豊臣政権下では重臣として活躍しました。関ヶ原の戦いでは西軍の大将となりますが実際には戦わず、家臣の働きもあり、徳川政権下でも萩に城を築いて大名として存続しました。