吉川広家 きっかわひろいえ[1561~1625]
吉川広家は吉川元春(きっかわもとはる)の三男として生まれました。吉川元春は中国地方を治めていた毛利元就の次男で、吉川広家は毛利元就の孫になります。幼少期はうつけ者と呼ばれていましたが、武芸に励み、わずか9歳で初陣を飾りました。吉川広家が家督を継承すると豊臣秀吉に仕えて功績を挙げました。1600年(慶長5年)に関ヶ原の戦いが起きると、石田三成の西軍に毛利家が味方し、毛利輝元が西軍の総大将となりました。しかし、実際、吉川広家は、毛利家の存続を考え徳川家康に内通し戦闘には参加しませんでした。戦いのあと、吉川広家は毛利氏の家臣として岩国の領主となりました。