鎌倉時代

 源平の戦いを制した源頼朝は現在の神奈川県にある鎌倉に幕府を置き、武士最高権力者である将軍とその家来である御家人との主従関係を基盤とした武士による政治を行いました。源氏が滅んだ後は北条氏が権力を握り、この時代は約150年間続きました。また、親鸞や日蓮らが新しい仏教を民衆に広めていきました。後半は幕府に不満をもつ武士たちの争いが起こりました。

源頼朝(みなもとのよりとも)[1147~1199年]

源平の戦いで平氏を滅ぼし、鎌倉に幕府を開き、征夷大将軍となりました。守護地頭をおくなど幕府政治の基礎を固めました。

18 images

源頼朝の正室・北条政子(ほうじょうまさこ)[1157~1225年]

伊豆を治めていた北条時政の長女で、鎌倉幕府を開いた源頼朝の正室です。頼朝の死後、鎌倉幕府の実権を握り政治を行ったので「尼将軍」とも呼ばれています。承久の乱のとき朝廷側と戦う御家人たちに御恩と奉公を説き幕府の勝利につながりました。

13 images

曾我兄弟の仇討ち(曾我十郎祐成(そがじゅうろうすけなり) 曾我五郎時致(そがごろうときむね))

1176年、源頼朝は御家人らとともに伊豆で鷹狩りを行いました。この時同行していた一人に河津祐泰(かわづすけやす)がいました。祐泰は身内の所領争いの因縁から工藤祐経(くどうすけつね)に殺されてしまいました。祐泰には一萬丸(いちまんまる)と箱王丸(はこおうまる)という二人の子供がいましたが、夫人は二人の兄弟を連れ曾我祐信(そがすけのぶ)と再婚しました。1193年、源頼朝は多くの御家人らとともに富士山麓で鷹狩りを行いました。御家人の一人で工藤祐経がこれに参加しており、寝ているところを成長した曾我兄弟が父の無念をはらすため切りつけ殺しました。日本の三大仇討ちの一つとされています。

17 images

亀山天皇(かめやまてんのう)[1249~1305年]

第90代天皇です。大覚寺にて院政を行いました。

19 images

親鸞(しんらん)[1173~1262年]

9歳で仏門に入り比叡山にて修業されました。29歳の時法然の弟子となり専修念仏教えを学びました。その後絶対他力による極楽往生を説き、浄土真宗の開祖となりました。

80 images

栄西(えいさい)[1141~1215年]

臨済宗の開祖です。明庵栄西(みょうあんえいさい)禅師は京都の建仁寺を開山しました。

36 images

一遍(いっぺん)[1239~1289年]

時宗の開祖一遍は特定の寺院を持たず、全国を回って民衆に仏教を広めたので遊行上人(ゆいぎょうしょうにん)や捨聖(すてひじり)と呼ばれました。現在の愛媛県道後の豪族河野家の第2子として生まれ、10歳で出家しました。その後一旦は家に戻って僧侶と普通の生活を送っていましたが30歳を超えてから再出家し、浄土宗の修行を続けました。少数の弟子を伴って全国を遊行し旅先で民衆に念仏を勧めました。

10 images

法然(ほうねん)[1133~1212年]

比叡山で天台宗をまなびました。「南無阿弥陀仏」と唱えることを説き浄土宗の開祖となりました。

31 images

日蓮(にちれん)[1222~1282年]

千葉県鴨川市小湊で生まれ、16歳で出家しました。日蓮宗 の開祖です。

63 images

楠木正成(くすのきまさしげ)[1294~1336年]

鎌倉時代末期に後醍醐天皇のよびかけに応じ、幕府の政治に不満を持つ足利尊氏らとともに戦って幕府を滅ぼしました。建武の新政後は足利尊氏と対立し湊川の戦いで敗れて自害しました。

63 images

新田義貞(にったよしさだ)[不明~1338年]

鎌倉時代末期に後醍醐天皇のよびかけに応じ、幕府の政治に不満を持つ足利尊氏らとともに戦って幕府を滅ぼしました。建武の新政後は足利尊氏と対立し福井県で自害しました。

29 images

南部師行(なんぶもろゆき)[生年不明~1338年]

根城(青森県八戸市)を拠点として、建武(新政により陸奥守に任ぜられた北畠顕家(きたばたけあきいえ)に従っていました。、足利尊氏が幕府に反旗を翻すと南朝軍として陸奥を守り、その後大阪で北畠顕家とともに北朝軍と戦いましたが敗戦しました。

27 images

泰期

14から15世紀の沖縄は三山時代(1322年ごろから1429年)と呼ばれ、中山(ちゅうざん)・南山(なんざん)・北山(ほくざん)の三つの政権によって統治されていました。後に中山を掌握した尚巴志(しょうはし)が北山に続いて南山を攻略して三山を統一しました。読谷村の豪族泰期(たいき、たいち)は中山王「察度王」の命を受けて初の進貢使として中国に派遣されました。中国と琉球王国の交流に貢献した先駆者でした。当時の中国への航海は容易ではなかったが泰期は5往復もしたと伝えられています。このことは沖縄の一番古い歌謡集「おもろさうし」にも謡われています。

10 images