薩摩義士(宝暦治水)

1753年(宝暦3年)、幕府は薩摩藩に木曽川、長良川、揖斐川の洪水を防ぐための治水工事を命じました。家老の平田靱負は多くの薩摩藩士らとともに三川分流工事を行いました。しかし、これは難工事で、多くの藩士・農民の犠牲者がでました。それでも工事を続け、工事を完成させました。この工事に参加した薩摩藩士のことを薩摩義士とよんでいます。