新島襄(にいじまじょう)[1843~1890年]

安中藩士の子として江戸で生まれました。本名は七五三太(しめた)です。 アメリカに渡航することを画策し、箱館(函館)から密航しました。密航船内でジョーと呼ばれていたため、後に「襄」と改名しました。アメリカでキリスト教の洗礼を受け大学で学びました。このとき北海道の開拓に尽力するクラーク博士からも学びました。岩倉使節団として渡米していた木戸孝允と出会い、各地を訪問するとともに渡欧し教育制度を見聞する機会をも得ました。帰国して同志社英学校(同志社大学)を創立しました。