若き薩摩の群像 (鹿児島県鹿児島市 JR鹿児島中央駅前)

1863年、薩摩藩は鹿児島湾でイギリスと交戦しましたがこれがきっかけとなりイギリスと関係を深めることとなりました。イギリスの技術や文化に関心を示した薩摩藩は1865年(慶応元年)、藩内の青少年15名(最年少は13歳)と使節団4名の計19名の薩摩藩遣英使節団をイギリスに派遣しました。彼らはイギリスの学問や技術を学び帰国し、日本の近代化に大きく貢献しました。
新納久修(にいのうひさのぶ)、町田久成(まちだひさなり)、松木弘安(まつきこうあん)、五代友厚(ごだいともあつ)、名越時成(なごしときなり)、吉田清成(よしだきよなり)、中村博愛(なかむらはくあい)、市来和彦(いちきかずひこ)、森有礼(もりありのり)、村橋直樹(むらはしなおき)、畠山義成(はたけやまよしなり)、鮫島尚信(さめしまなおのぶ)、田中盛明(たなかもりあき)、東郷愛之進(とうごうあいのしん)、町田実績(まちださねつみ)、町田清次郎(まちだせいじろう)、磯永彦助(いそながひこすけ)、高見弥一(たかみやいち)、堀孝之(ほりたかゆき)