藤原清衡(ふじわらのきよひら)・清原清衡(きよはらのきよひら)[1056~1128年]
1051年からの「前九年の役」で多賀国府の源頼義・義家とともに戦った清原氏が東北地方を支配することとなりました。その後一族の内乱が起こり1083年、清原家衛と清原清衡(異父兄弟)が争った「後三年の役」が起こりました。この戦いに源義家が参戦し金沢柵で激しく戦いました。清原武衛・家衛軍は最初優勢でしたが、都から源義家の弟源義光が加勢し形勢は逆転、金沢柵が突破され清原清衡と源義家・義光が勝利しました。この戦いで清原氏は滅亡し東北地方は清原から改姓した藤原氏が支配することとなりました。