酒船石と高取城石垣

標高583.9mの高取山頂に高取城の跡が残る。南北朝時代,大和高市一帯を治める豪族の越智一族が高取山の頂にかき上げ城と呼ばれる中世の山城を築いた。桃山時代,大和国郡山城主で豊臣秀長の重臣の本多太郎佐衛門が高取城主となり,天守閣・石塁などを持つ白く輝く城郭に改築された。
 
  
 
高取城への登り道に置かれた石造物「猿石」
 
子嶋寺の山門はかつて高取城の「二ノ門」だった。子嶋寺は孝謙天皇の勅願所で760年に報恩が建立した。京都の清水寺は子嶋寺の支坊。
薬の町として御所・橿原とともに栄えた高取町。旧高取藩家老屋敷の門も残る。
高取城の石垣を造るため,飛鳥から多くの石が運ばれた。その中にはいくつかの石像物もあったらしい。有名な飛鳥の酒船石(写真左下)もよく見ると割られた跡(写真右下)が残っているが,高取城の石垣にもそれとよく似た跡が残る石を見つけた。
 
高取城の石垣に見られる加工した跡。(写真下)
立派な城郭を備えた高取城であったが,明治時代に取り壊しとなった。しかし,中世の山城ということもあってたやすく取り壊すこともできず,今も壮大な石垣の姿を見ることができる

このページの作成に当たり高鳥町ホームページを参考にした。

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