「野上行宮」

 大海人皇子は672年6月27日,不破にあった尾張大隅の私邸を行宮として入った。また,尾張大隅は多額の軍資金も提供していた。この労によって乱の後,「連」から「宿禰」に昇格されている。(続日本紀の記述による)
 ここに登場する尾張氏は尾張地域を支配していた「本家」から出た実力者で,三重県桑名市・四日市市一帯から岐阜県美濃地域までの広い地域で勢力を有していた人物と考えられている。その私邸(別宅)が現在の岐阜県不破郡関ヶ原町野上にあったと考えられている。
 現在,行宮があったとされる場所に関ヶ原町観光協会・関ヶ原歴史を語る会によって案内板が設置されている。それによると「この地は高燥にして眺望よく朝鮮式土器も出土しており,古来行基が行宮材にて南方六坊を建てたという寺社屋敷の地名も残っていて,行宮跡地と伝えられています。」 野上行宮跡地
 行宮跡地を所有する関ヶ原町の早野さんに案内されてさらに山に入っていった。早野さんによると,「鎌倉道」と地元で呼ばれる古道が残っていて,この地から不破に続いているとのことだった。
鎌倉道上り 鎌倉道下り
  また,行宮跡地裏山にはいくつか人工的に斜面が削られ平らに整地された場所が見つかる。付近に石垣が崩れたと思われる跡も残っていた。
平らな部分 石垣崩れか
 平らになった場所から「鎌倉道」に降りる石段を見つけた。また,石段を下りていくと石垣があった。
石段  石垣
瓦  山の斜面を登ると以前寺だったところに着いた。そこは今でも瓦がころがっている。この瓦は古代のものではないようだ。
 行宮跡地からは東国から不破への入り口となる場所が眼下に見えた。 野上行宮より北東方向
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