那大津(なのおおつ:福岡県博多港)
 遣随使や遣唐使は大陸の文化を日本に取り入れる目的をもって船出した。また,大陸からも多くの人たちが来日し,貴重な文化や技術を日本に伝えた。その出発港であり帰港地が那大津,那の津(博多港)であった。8世紀後半以降はさらに多くの人たちが朝鮮半島や中国から海を渡ってやってくるようになった。博多港は外国の使節や商人たちを迎え,送る役割をもった大陸文化の玄関とも言える所だった。

古代の博多港(那の津,那大津)を博多古図をもとにイラスト化した
 大津皇子は現在の福岡県の博多港にあったとされる宮で誕生した。
博多湾

住吉神社
福岡県福岡市博多区住吉
 古代の港であった那大津を特定することは難しいが,現在も当時の様子を伝える場所がある。
 博多にある住吉神社は博多古図を見ると那の津の河口にあり,海(博多湾)に面して建っていた。祭神は底筒男命(そこつつおのみこと),中筒男命(なかつつおのみこと),表筒男命(うわつつおのみこと)の住吉3神で,航海の安全を願う神として信仰されている。

 住吉神社の鳥居前にある天龍池は,黄泉国から戻った伊弉諾尊の禊ぎの場と伝わっているが,古代の港の名残である。
天龍池

鴻臚館跡展示館
(福岡県福岡市中央区城内)

 那の津には外国からの使節や商人たちをもてなした迎賓館があった。現在も発掘調査が進められているが,福岡城近く,平和台球場の下にあった。筑紫にあった鴻臚館は筑紫館(つくしのむろつみ,つくしのたち)と呼ばれていた。『日本書紀』には持統2年(688年)2月10日に新羅の霜林(そうりん)を筑紫館でもてなしたことが書かれている。
 博多に来た商人たちは鴻臚館に迎え入れられた。このような目的で,京都や大阪にも建てられたが,それらの遺跡は発掘されていない。唯一,筑紫の鴻臚館だけが確認されている。
展示館入り口より中を見る

展示館の中で復元建物と柱穴跡を見る
飛鳥時代の鴻臚館は掘立柱建物であったが,奈良時代になって堀に囲まれた建物跡が発掘されている。また,トイレ跡からは多くの木簡も発見された。
 平安時代になると展示館内に復元されたような礎石の上に柱を立てた瓦葺きの大きな建物が造られた。
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